8月といえば、暑くて晴天というイメージがありますが、台風の場合は、話が別です。
台風7号が、和歌山に上陸するようです。
その時間帯は、たまたま帰宅途中で、電車を待っている間に。携帯のニュースサイトに速報が。台風7号が和歌山県の潮岬に上陸というものです。
この時点で、午前6時。
いつもと違うのは、暴風警報が出ているのに、電車は動いていることと雨が降っていないことです。
外へ出てみると(地下鉄なので外に出ないと帰れない)、強風の影響が出ていました。
風は強いですし、どこかの家の鉢が倒れていましたし、一ヶ所に集まっていたゴミ袋の塊が強風で道路の真ん中にいくつかあったりしました。
その内、雨が降ってきましたが、傘をさしても、全く役に立たなかったです。
強風で傘の骨組みが曲がったり、ビニールの部分が裏返ったりと。
写真を撮ってもよかったのですが、そんなことはどうでもいいくらいの強風と大雨でした。
とりあえず、早く帰ることしか頭にはなかったです。
帰ってからは、台風情報ばかり見ていましたが、午前8時、9時がピークでしたね。
潮岬に上陸した後は、時速15キロ(自転車くらいの速さ)で、ゆっくりと近畿地方を北上しているようでした。
ただ、地下鉄は、地上に出る部分の駅は、運転見合わせの状態でした。
午後3時以降からは解除されましたが。
そして、今日は8月15日と終戦の日です。
78年前の8月14日に、明日の正午から重大放送があるようで、正午前にはラジオの前に人が集まっていて、正午の時報と共に昭和天皇の言葉で、終戦を知りました。
ところで、あの昭和天皇の言葉で、終戦がわかるのでしょうか。全文を見たことがありますが、全然意味がわかりません。
「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び」しか覚えていません。
現代語訳が必要のようで、現代語訳したサイトもありました。
この昭和天皇の言葉は今も聞けますが、聞けるのは、レコード収録に立ち会ったNHKの新人職員が「これは、日本の歴史の重大な資料になるかもしれない」と密かにダビングして、長年自宅に隠していたからです。
終戦後、レコードのマスターは米軍が押収していきましたが、帰ってきたときは、黒ずんでいて、再生不可能な状態でした。
これを日本国民に聞かせると都合が悪いと考えたGHQが、証拠隠滅のために、わざと焼け焦がしたと思われます。
そこにGHQの闇が潜んでいます。
さて、日本では、終戦は8月15日ですが、アメリカやヨーロッパでは、9月2日になっています。
ミズーリー号で降伏文書に署名したのが、9月2日で、それまで第二次世界大戦は続いていたということになります。
なので、8月15日を過ぎても、ソ連は北方領土を攻撃したり、現地住民を殺しまくったりと今のプーチンと同じことをやったわけです。